小林秀雄と河上徹太郎 最期の対談

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・あいさつなどしなくても、お互いの知見に刺激され合う、如水の交わりというやつだ
・歴史はエモーションであって理性ではない
・歴史が断絶するなどというバカなことはあり得ない
・「心志身体密かにこれに化する」これが歴史
・「身」とは「わたくし」のことで、心身と二分してわけることなどなかった
・思惟のはたらきは、鬼神が通じてくれるだろう、そう信じること

【如水の交わり】
僕たちは
あいさつや葬儀に行くことはなくても
歴史の流れに任せて
お互いの知見に刺激され合う
如水の交わりというものだ

【歴史】
歴史は人が創作するのではなく
歴史の海の中を泳ぐしかない
歴史はエモーションであって理性ではない

それを美しく創作しようとするから
歴史小説はつまらない

歴史には
小説家が任意に信を加える余地などない

歴史は人とは別に流れていて
人に極度に引っ付いているもの

歴史と乖離して
接触感を失ってしまうと
個人の生きがいも失ってしまう

おじいさんについて書く時
おじいさんについて勝手な事は書けない
おじいさんが勝手に生きられなかったように
私達も勝手な事は書けない
ただなぞるだけだ

【歴史に断絶などない】
日本育ちの宣教師の子供が
書いたところによると
徳川の時代も明治の日本も
戦後の日本も
断絶などしておらず直結している
歴史が断絶するなどというバカなことはあり得ない

【孔子と荻生 徂徠】
孔子 
「礼楽という行為によって悟る

「心志身体密かにこれに化する」
これが歴史

人間は密かに歴史に化すると言い換える事も出来る

荻生 徂徠(おぎゅう そらい)

昔の言葉では「身に得る」と言い
「心に得る」とは言わなかった
「身」とは「わたくし」のことで
心身と二分してわけることなどなかった

【思惟】
思惟のはたらきは
「これを思い、これを思って分からなければ、鬼神まさにこれを通ずべし」

鬼神が通じてくれるだろう、そう信じていた
それが思惟、思う、ということ

今の考えるということは
計算だ
計算はコンピューターに通じている
その先にあるのは虚無だ

意味を生むのは理知や計算ではなく
人間の思惟であり、鬼神が通じるような思いである

そういう意味での完璧
美はあらかじめ存在する

【所感】
二人の魂が
歴史の中で思惟し
交わり

べたべたとした付き合いはなくても
魂の深いところで共鳴しあう

このような対談は
現代では失われているし

古い対談であっても
若者の魂に響く
それは彼らが本質を見ようとしているから

 

 

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【文責:著者名: 山崎純二 、本名: 山崎 順】


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